栄西と喫茶養生記
読み えいさいときっさようじょうき現地音 ロンシー拼音 Róngxī中国語 荣西 / 吃茶养生记 / 榮西 / 喫茶養生記別名 栄西、明菴栄西、喫茶養生記、茶祖栄西、建仁寺、日本の茶祖
鎌倉時代の禅僧(1141〜1215年)。宋に二度渡って臨済禅を学び、帰国後に茶の種と宋代の飲み方を広めたことから日本の茶祖と呼ばれる。1211年に著した『喫茶養生記』は日本最古の茶の専門書で、茶を養生の仙薬と位置づけ、宋で見た茶の効能、製法、飲み方を記す。日本茶と中国茶の歴史をつなぐ人物。
鎌倉時代の禅僧で、明菴栄西とも呼ばれます。備中(岡山)の生まれで、比叡山で学んだあと1168年と1187年の二度、宋に渡りました。二度目の渡宋では天台山や天童山で臨済禅を学んで帰国し、日本に臨済宗を伝え、京都に建仁寺、鎌倉に寿福寺を開きました。茶の歴史では、宋から茶の種と飲み方を持ち帰って広めたことから日本の茶祖と呼ばれます。
『喫茶養生記』
1211年(建暦元年)に著した『喫茶養生記』は、日本に現存する最古の茶の専門書です。上下二巻からなり、上巻は茶を、下巻は桑を扱います。冒頭で茶を養生の仙薬、寿命を延ばす妙術と位置づけ、五臓のうち心臓を養うのが茶の苦味であるという医学の考え方に基づいて、茶の効能を説きます。続いて茶の名前、樹の姿、摘む時期、宋で見た蒸して焙る製法、飲み方を記しています。栄西が見たのは宋代の点茶の時代の茶で、『喫茶養生記』の記述は大観茶論など宋の茶書と対応します。1214年、二日酔いの将軍源実朝に茶とこの書を献じたことが『吾妻鏡』に記され、これが日本で茶の効能が広く知られるきっかけになったとされます。
日本茶とのつながり
栄西が持ち帰った種は筑前の背振山に植えられ、栂尾の明恵にも贈られて宇治茶の起源につながったと伝えられます。宋の蒸青の製法と粉茶を点てる飲み方は、日本で抹茶と茶の湯として発展しました。中国では明代に釜炒りと散茶が主流になって点茶が廃れたため、宋代の茶の飲み方は日本の抹茶に形を変えて残った、というのが中国茶と日本茶の歴史の関係です。
史実と伝承
栄西が茶を日本に「初めて」伝えたわけではなく、平安時代の初めに最澄や空海が唐から茶を持ち帰った記録があります。栄西の功績は、茶の飲用を養生の方法として体系的に説き、禅寺の生活とともに広めたことにあります。茶祖という呼び名は、この普及の役割に対する後世の評価です。
関連用語
関連する茶葉
参考リンク
- 大阪府立大学人文学会: 栄西『喫茶養生記』全訳注 「茶」の飲用と仙木「桑」の活用による養生法 — 喫茶養生記の全訳と注釈
- 中国哲学書電子化計画: 大觀茶論(宋・徽宗) — 栄西が見た宋代の茶(関連資料)