大観茶論
読み たいかんちゃろん現地音 ダーグアンチャールン拼音 Dàguān Chálùn中国語 大观茶论 / 大觀茶論別名 大观茶论、徽宗、宋徽宗、点茶、點茶、茶論
北宋の皇帝徽宗が大観元年(1107年)ごろに著した茶の書。皇帝自身が書いた唯一の茶書で、産地、製法、鑑別、道具、点茶の方法など20篇からなる。宋代の団茶を粉にして湯を注ぎ茶筅で泡立てる点茶の作法を詳しく記し、日本の抹茶の源流を知る史料でもある。
北宋の第8代皇帝、徽宗(趙佶)が著した茶の書で、書かれた年号の大観(1107〜1110年)から大観茶論と呼ばれます。もとの名は『茶論』で、皇帝自身が書いた唯一の茶の専門書です。徽宗は書画に優れた文化人皇帝として知られ、茶についても宮廷で自ら点茶を行うほどの愛好家でした。
内容
序に続いて、地産、天時、採択、蒸圧、製造、鑒辨、白茶、羅碾、盞、筅、瓶、杓、水、点、味、香、色、藏焙、品名、外焙の20篇からなります。福建・建州の北苑で作られた貢茶(龍鳳団茶)を前提に、茶園の土地と天候、摘み方、蒸して圧す製法、良否の見分け方、道具、湯の注ぎ方までを記しています。中でも「点」の篇は、茶碗に粉茶を入れて湯を七回に分けて注ぎ、茶筅で泡立てる手順を段階ごとに書いた点茶の記録として貴重です。
宋代の茶
宋代の茶は唐代と同じく固形の団茶でしたが、飲み方は煮るのではなく、粉にして湯を注いで泡立てる点茶に変わりました。茶の泡の白さと持ちを競う闘茶が流行し、泡を引き立てる黒い天目茶碗(建盞)が好まれたことも『大観茶論』の盞の篇から分かります。ここで言う「白茶」は現代の白茶ではなく、葉の白い珍しい茶樹の茶を指します。
日本との関係
この点茶の作法が日本に伝わって抹茶の茶の湯になりました。中国では明代に散茶が主流になって点茶が廃れたため、宋代の茶の様子を知るには『大観茶論』が最も詳しい史料のひとつです。中国哲学書電子化計画で原文を読むことができます。
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参考リンク
- 中国哲学書電子化計画: 大觀茶論(宋・徽宗) — 原文全文と20篇の構成
- 中国哲学書電子化計画: 茶經(陸羽) — 唐代の茶書との対比(関連資料)