歴史・人物・文献
- 栄西と喫茶養生記えいさいときっさようじょうき — 鎌倉時代の禅僧で、宋に二度渡って禅を学び、茶の種と飲み方を持ち帰って広めたことから日本の茶祖と呼ばれる。1211年の喫茶養生記は日本に現存する最古の茶の専門書で、茶を養生の仙薬と位置づけ、宋で見た製法と飲み方を記す。
- 号級・印級・七子餅ごうきゅう・いんきゅう・しちしへい — 普洱茶の古い餅茶を年代で区分する呼び方で、私営茶荘の号級、国営期の印級、1972年以降の七子餅茶に分かれる。いつ誰が作ったかで値段が決まり骨董品のように取引されるため、偽物が本物よりはるかに多く真贋の問題が絶えない。
- 貢茶こうちゃ — 皇帝や朝廷に献上された茶で、唐代以降、宮廷が特定の産地に作らせて納めさせ、選ばれた産地は名声を得た。宋の北苑の団茶や清の西湖龍井が知られ、いまも名茶の肩書きになるが、宣伝や等級名に付く貢の字は献上の事実とは別物。
- 呉理真ごりしん — 伝承では前漢の時代に蒙頂山へ茶を植えたとされ、記録に残る最初の茶の栽培者として植茶始祖と呼ばれる人物。名が見える史料は後世のもので同時代の記録はなく、産地の古さを象徴する存在として読むのがよい。蒙頂山には皇茶園と祠が残る。
- 蔡襄と茶録さいじょうとちゃろく — 北宋の政治家・書家で、貢茶を監督して小龍団を作らせた蔡襄と、彼が著した上下二篇の短い茶書。上篇で茶の色・香・味と炙り方、碾き方、湯の見極め、点茶を、下篇で茶盞など道具を論じ、北宋中期の点茶を伝える基本史料。
- 神農しんのう — 中国の伝説上の帝王で、農耕と医薬の祖とされ、茶を最初に飲んだ人物として茶祖と呼ばれる。伝承では百草を嘗めて毒に当たり茶の葉で解毒したといい、唐の『茶経』が茶を飲むことは神農氏に始まると書いて定着したが、史実ではない。
- 正山堂せいざんどう — 福建省武夷山の桐木で代々紅茶を作ってきた江氏の茶業会社と、同社が立ち上げた高級紅茶ブランドの名前。芽だけの紅茶の金駿眉を生み出して国内の高級紅茶ブームを起こし、その製法を標準化して他省の産地と組んだ駿眉系の紅茶を広げている。
- 大観茶論たいかんちゃろん — 北宋の皇帝徽宗が著した茶の書で、皇帝自身が書いた唯一の茶書として産地、製法、道具、点茶を20篇に記す。団茶を粉にして湯を注ぎ茶筅で泡立てる点茶の手順を詳しく記し、日本の抹茶の源流を知る史料でもある。
- 団茶だんちゃ — 蒸した茶葉を搗いて型に入れ、固めて乾かした固形の茶で、唐代の餅茶や宋代の貢茶を指す歴史上の呼び名。炙って粉にし、煮たり点てたりして飲んだ。明の洪武帝が1391年に献上を廃止して散茶が主流になり、固形茶は黒茶の緊圧茶に残る。
- 茶経ちゃきょう — 唐代の陸羽が著した世界で最も古い茶の専門書で、三巻十章に茶の性質、製法、道具、煮方、飲み方、産地をまとめる。蒸して固めた団茶を炙って煮る飲み方を伝え、茶を道具と作法を持つ文化として初めて書いた本で、後世の茶書の型になった。
- 茶疏ちゃそ — 明の許次紓が著した茶書で、団茶が廃れて散茶を釜で炒り湯に浸して飲む時代の茶を三十余りの項目で記す。産地、摘採、釜炒り、保存、水、飲む時と場まで扱い、いまの緑茶の作り方と飲み方にそのままつながる古典で、陸羽の茶経を補うと評された。
- 茶馬古道ちゃばこどう — 雲南や四川の茶を馬の隊商がチベットへ運んだ交易路の総称で、茶と馬を交換する茶馬交易に由来する。長い輸送中に茶が熟成したことが普洱茶の陳香の文化につながり、名前自体は1990年に付けられた新しいもの。
- 張天福ちょうてんぷく — 福建の茶学者(1910〜2017年)で、近代中国の茶業を代表し茶界の泰斗と呼ばれた人物。福建で最初の茶業の学校と試験場を作り、中国初の揉捻機を設計し、晩年まで官能審査の教育で多くの評茶員を育てた。倹・清・和・静の中国茶礼を提唱。
- 万里茶道ばんりちゃどう — 17世紀から20世紀初めにかけて、中国南部の茶を陸路でロシアへ運んだ交易路の総称。山西商人が茶を集め、モンゴルの草原を経て中露国境の恰克図でロシア商人に引き渡した。近年は中国の世界遺産暫定リストに入り、遺構が整備されている。
- 陸羽りくう — 唐代の人で、茶の起源から道具・製法・淹れ方・産地までを三巻十章にまとめた世界最初の茶の専門書『茶経』の著者。薬や食べ物に近かった茶を独立した文化として位置づけ、後世に茶聖と呼ばれて茶商が像を祀る茶神にもなった。
- 盧仝ろどう — 唐代の詩人で、友人から贈られた新茶を詠んだ長詩の中の「七碗茶」の一節で知られ、茶仙と呼ばれる。一碗目から七碗目まで茶の効きを段階的に述べた表現は後世の茶の文章の型になり、茶館の掛け軸や日本の茶の湯でも親しまれた。