中国茶辞典中国茶・台湾茶の用語とコラム

万里茶道(ばんりちゃどう)

読み ばんりちゃどう現地音 ワンリーチャーダオ拼音 Wànlǐ Chádào中国語 萬里茶道別名 万里茶路、万里茶道、茶葉之路、恰克図、キャフタ、晋商、中露茶路、Great Tea Route

17〜20世紀初めに、福建武夷山や湖南、湖北の茶を陸路でロシアへ運んだ交易路。山西商人(晋商)が茶を集め、漢口から北上して張家口、モンゴルを経て中露国境の恰克図(キャフタ)でロシア商人に売り、シベリア経由でモスクワまで届いた。全長1万3000キロに及び、2019年に中国の世界遺産暫定リストに入った。

17世紀から20世紀初めにかけて、中国南部の茶を陸路でロシアへ運んだ交易路の総称です。[chamagudao]が西南の茶をチベットへ運んだ道だとすると、万里茶道は南の茶を北のロシアへ運んだ道で、全長は1万3000キロに及びます。

路線

始まりは武夷山(ぶいさん)下梅村(かばいそん)で、武夷山の茶を集めて川と陸路で江西を抜け、湖北(こほく)漢口(かんこう)(現在の武漢)に集めました。19世紀半ばの太平天国の乱で福建からの道が絶たれると、湖南(こなん)安化(あんか)や湖北の羊楼洞(ようろうどう)の茶が主な積み荷になり、青磚茶(せいせんちゃ)千両茶(せんりょうちゃ)はこの需要から生まれました。漢口から北へ、河南、山西を経て張家口(ちょうかこう)に至り、そこからラクダの隊商でモンゴルの草原を横断して中露国境の恰克図(キャフタ)(キャフタ)へ。恰克図でロシア商人に引き渡された茶は、シベリアを経てモスクワやペテルブルクまで運ばれました。

晋商(しんしょう)とロシア

この交易を担ったのは山西省の商人、晋商です。1689年のネルチンスク条約(ねるちんすくじょうやく)と1727年のキャフタ条約(きゃふたじょうやく)でロシアとの交易が公認され、恰克図は茶の交易で栄えました。清の乾隆年間から19世紀にかけて、ロシアへ輸出される茶は中国の輸出品の大きな柱で、ロシアの茶文化(サモワールで淹れる濃い紅茶)はこの道で届いた磚茶(せんちゃ)や紅茶から生まれました。19世紀後半に漢口からの海路と、シベリア鉄道の開通で陸路の交易は衰え、20世紀初めに終わります。

文化遺産として

「万里茶道」という名前は近年の呼び名で、2010年代に中国、モンゴル、ロシアが共同で世界遺産を目指す動きが始まり、2019年に中国の世界文化遺産暫定リストに入りました。福建、江西、湖南、湖北、河南、山西、河北、内モンゴルの八省区の茶荘、街道、集落などが遺産の候補になっています。武夷山の下梅村、湖北の羊楼洞、山西の茶商の屋敷などは観光地として整備されています。

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