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茶馬古道(ちゃばこどう)

読み ちゃばこどう現地音 チャーマーグーダオ拼音 Chámǎ Gǔdào中国語 茶马古道別名 茶马古道、Tea Horse Road、茶馬交易、茶馬互市、馬幇、馬帮

雲南や四川(しせん)の茶を、馬やラバの隊商(馬幇(ばほう))がチベット、さらにネパールやインド、東南アジアへ運んだ交易路の総称です。主な路線は雲南の普洱(ぷーある)・易武(いぶ)から大理(だいり)、麗江を経てチベットのラサへ向かう滇蔵道(てんぞうどう)と、四川の雅安(があん)からカムを経てラサへ向かう川蔵道(せんぞうどう)で、そこから東南アジアや南アジアへの枝道が広がっていました。

茶馬古道の地図。雲南の易武・普洱から大理・麗江・中甸・徳欽を経て芒康・昌都からラサへ向かう滇蔵道と、四川の雅安から康定を経て理塘・巴塘(南線)または甘孜・徳格(北線)を通り昌都で合流する川蔵道、ラサから江孜・亜東を経てインドへ、日喀則を経てネパールへ続く道を、標高帯の上に示す

主な路線

路線経路運ばれた茶
滇蔵道易武・普洱 → 景東 → 大理(下関) → 麗江 → 中甸(香格里拉) → 徳欽 → 芒康 → 昌都 → 拉薩雲南の普洱茶
川蔵道雅安 → 瀘定 → 康定(打箭炉(だせんろ))。康定から南線(理塘・巴塘・芒康)と北線(道孚・甘孜・徳格)に分かれ、昌都で合流 → 拉薩雅安の蔵茶
拉薩から先江孜・亜東を経てシッキム・インドへ、日喀則を経てネパールへ

川蔵道の雅安から康定までは、滎経から大相嶺(だいしょうれい)を越えて漢源へ抜ける官道の「大路」と、天全から二郎山(じろうさん)を越える「小路」の二本があり、どちらも瀘定で大渡河(だいとが)を渡ります。この区間は標高差が大きく馬が使えないため、茶を背負って歩く「背夫(はいふ)」が運びました。康定は茶の取引所「鍋荘(かそう)」が並ぶ町で、ここから先はチベット人の馬幇に引き継がれます。滇蔵道と川蔵道は芒康や昌都で合流し、昌都から拉薩へは同じ道を使いました。地図の線は資料によって細部が異なるため、おおよその位置です。

茶と馬の交易

唐代以降、中原の王朝は軍馬を必要とし、チベットや西北の遊牧民は肉や乳製品の多い食生活を補う茶を必要としました。茶と馬を交換する茶馬交易(茶馬互市)が宋代には国家の制度になり、明代まで続きます。運ばれた茶は雅安の蔵茶(ぞうちゃ)や雲南の普洱茶(ぷーあるちゃ)で、長い輸送に耐えるよう固く圧した団茶(だんちゃ)や磚茶(せんちゃ)の形になりました。

普洱茶との関係

馬の背で数か月から一年かけて運ばれる間に、茶は湿気と温度で自然に熟成し、味がまろやかになりました。普洱茶の陳香(ちんこう)と熟成の文化はこの輸送の副産物で、1970年代に開発された熟茶(じゅくちゃ)の渥堆は、この変化を短期間で再現しようとしたものです。清代の普洱府や易武の茶荘は、この交易で栄えました。

名前は新しい

「茶馬古道」という名称は古くからあったものではなく、1990年に雲南大学の木霁弘(ぼくせいこう)らの研究者が滇蔵の古道を踏査し、1992年に出版した本で名付けたものです。それ以降、雲南・四川・チベットの文化遺産と観光の看板になり、麗江や沙渓など古道沿いの町が整備されました。歴史の交易路そのものは古いものの、この名前で語られる物語は比較的新しい、という点は覚えておくと読み解きやすくなります。

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